■ 創業と革新的クラリネットの誕生
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1825年、パリのグラン=セルフ通り(現在もビュッフェ・クランポン本社の所在地)に、優れた腕を持つ職人ビュッフェ=オージェが工房を開設。彼は当時主流だったイワン・ミュラー式13キークラリネットの中でも特に高品質な楽器を手作業で製作し、音楽界に名を知られるようになりました。
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ビュッフェ=オージェの息子と弟(ルイ=オーギュスト・ビュッフェ)も技術に優れ、1830年に息子が工房を引き継ぎます。息子は1836年にクランポンと結婚し、その姓を併せて**「ビュッフェ・クランポン」**と名乗るようになります。
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弟のルイ=オーギュストは発明心が旺盛で、**クラリネット奏者クローゼ(Hyacinthe‑Eleonor Klosé)**と協業。フルートのベーム式リング機構をクラリネットに応用する取り組みを行い、1839年に「ベーム式クラリネット」を発表。**1844年に特許(No.16036)**を取得し、演奏性の面で従来型を大きく凌駕して広く採用されました。
■ マント=ラ=ジョリ工場の立ち上げと拡大
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1850年、ビュッフェ・クランポン(息子)、弟ルイ、F.トゥルニエが共同で、パリ西方約35マイルの田舎町マント=ラ=ジョリに拠点を構えます。当初は職人3名という小規模でしたが、地元住民を活用して部品製作を分散し、少しずつ拡大しました。
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1855年にはルイに代わってP. グーマスが参加し、1859年トゥルニエ死去後は**ビュッフェ・クランポン&Co.**として、クランポン、グーマス、そしてクローゼの弟子ルロワが共同経営に就任。
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1865年4月17日、創業者ビュッフェ・クランポンが逝去。ルロワも退いたため、グーマスが代表となり会社名は維持されました。クローゼはその功績により同年レジオンドヌール勲章を受章し、1880年8月に愛されながら没しました。
■ 栄誉と世代交代
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1871年、グーマスが義理の息子2名(ルゴエ、クランポン)を役員に迎え、工場はクラリネット中心からサクソフォンなどさまざまな木管・金管楽器製造へ拡大。
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1878年の国際博覧会にて、クラリネット、サクソフォン、オーボエ、フルート、バスーンなど42種を出品し、音程と品質の完全性が評価され金メダルを受賞。
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1885年7月1日、グーマスもレジオンドヌール勲章を受章。続いてポール・エヴェットとアーネスト・シェーファーに経営を託し、1889年の博覧会では唯一の一等賞を受賞。これにより、パリ国立音楽院および地方校、公的機関の公式楽器調達先にも認定され、海外からの注文も飛躍的に増加しました。
■ 20世紀以降の経営変遷と工場近代化
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1918年3月25日、ポール・エヴェット没。息子モーリスが1929年まで後を継ぎ、その後、株式制の新会社に移行し、P. E. ル・セニョール(CEO)、ガブリエル・フラノ(事業部長)、ポール・ルフェーヴル(工場技術部長)が要職を担当。フラノは1938年春に病没、以後ル・セニョール体制で継続、ロベール・カレーがマント工場の技術を統括しています。
■ 手作業から機械化へ:製造技術の進歩
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創業初期は全工程を手作業で行い、職人がファイルや鋸など手工具で精巧に仕上げていました。
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1959年には、かつての小工房から100名を超える専門職人を抱える大規模工場へと発展。
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木材(主に東アフリカ産黒檀)部門と金属部門が分業し、それぞれ精密な機械加工と熟練の手作業を組み合わせ、緻密な製造工程を構築。
■ クラリネットとサクソフォンの製造工程
木材工程(クラリネット中心)
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納品されたエボニーをカットし、3年間の自然乾燥を経てから加工。
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穴あけ、木部成形、リング装着など、複数の専用旋盤と職人の手作業で仕上げ。
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最後に最終的な**ボア(内径調整)**を行うことで、音響特性を最適化。
金属工程
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ニッケルシルバー製キーをプレス成形(45トン→35トン)し、キーやリングを精密に加工。
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金属部品の溶接、研磨、外装仕上げを経て組み立て。
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パッド(パド)やスプリングの取り付け、調整調律まで行い、熟練の奏者が最終検査。
サクソフォン製造
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真鍮板を手加工でボディ形状に成形し、鍵部は機械加工。
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焼付塗装(ゴールドラッカー)や銀/金メッキで外観仕上げ。現在ではギルト(金メッキ)モデルが主流。
その他の木管楽器(フルート/オーボエ/バスーン)
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製造数は少ないものの、すべて資格を持つ専門職人が手作業で製造。最高水準の品質を保証。
このように、1825年の小さなクラリネット工房が、1839年の革新、そして1878年の国際評価を経て、1959年には近代的な大工場へと成長。音楽家に最高の演奏体験を提供するための、品質と技術の歴史。