当初はゆっくりとした立ち上がりでしたが、1917年から1919年の間にセルマー・パリ製サクソフォンの需要は次第に増加し始めました。ちょうどその頃、セルマー社の事業の方向性を永遠に変えることになる重大な決断が下されました。
1919年までに、アンリ・セルマーは「サクソフォンを自社の設備で本格的に製造する」という決断を固めたのです。
しかし、当時のガイヨン工場にはサクソフォンを本格的に量産するだけの設備や生産能力がありませんでした。そのため、新たに工場を**マント(Mantes)に開設することになりました。この地域にはすでにドルネ(Dolnet)やエヴェット=シェーファー(Evette-Schaeffer)**といったサクソフォン製造業者が進出していました。
マント工場の生産責任者には、アンリ・ルフェーヴルとモーリス・ルフェーヴルの兄弟が任命されました。そして1921年12月までに、彼らは製造用の治具(工具)を完成させ、サクソフォンを大規模に生産するための新しい製造方法を確立しました。
出典:Saxophone Museum