SELMER St.Louis Gold Medal (1910~1921)

1904年のセントルイス博覧会でクラリネットの設計により金賞を受賞し、さらにEvette-Schaeffer(エヴェット・シェーファー)、Buffet-Crampon(ビュッフェ・クランポン)、Couesnon(クーノン)、Noblet(ノブレ)といったフランスの有力メーカーとの熾烈な競争に直面したことを受けて、アンリ・セルマーは楽器製造を多角化し、産業化する決意を固めました。

セルマーはクラリネット一式に加え、バソン(ファゴット)、オーボエ、イングリッシュホルン、フルート、そしてもちろんサクソフォンの製造も開始しました。この拡張は、メリュ(Méru)に新たな工房を開設し、1912年にはガイヨン(Gaillon)に工場を建設することで可能になりました。

セントルイス金賞モデルと呼ばれるサクソフォンは、セルマーが実際に設計した初のサクソフォンでしたが、製造自体はパリのミラ通り84番地にあったアドルフ・サックス・ジュニアの工房で行われていました。このモデルの最も初期の記録は、1910年のセルマー・パリのカタログに見られます。この時代のサクソフォンはすべて「Medaille D'OR St. Louis 1904(1904年セントルイス金賞)」と刻印または打刻されていることから、通称「金賞モデル」と呼ばれています。

このモデルはB♭ストレート・ソプラノ、アルト、テナー、バリトンとして製造され、のちにはCメロディも追加されました。

この新しい設計の中心人物はアンリ・ルフェーヴル(Henri Lefevre)で、彼と父ポールは、パリのクラリネット製造業者「メゾン・ロベール(Maison Robert)」を退社後、1905年にセルマーに入社しました。弟モーリスも1910年に加わりました。ルフェーヴル家は熟練した職人一家で、アンリ自身の名前を冠した楽器を何本も製作していました。その中の1本がアンリ・セルマーの目に留まったのです。

このルフェーヴル製サクソフォンは、それまでエドゥアール・アドルフ・サックスによってスタンシル製造されていたサクソフォンとはまったく異なる革新的な設計でした。例えば、最低音がLow B♭まで出せ、ベルキーは両方とも演奏者から見て左側に配置されていました。また、もう一つの大きな改良点は、ユニークなシングル・オクターブ・キイ・メカニズムが採用されていたことです。

しかし、1910年当時セルマーにはサクソフォンを自社製造するための設備がまだ整っていなかったため、この新モデルも再びアドルフ・サックスの工房で製造されました。ただし今回は、アンリ・ルフェーヴルの設計に基づき、彼自身の直接監修のもとで行われたのです。

この協業によってセルマー社とアドルフ・サックス・ジュニアの工房の関係はさらに密接となり、最終的には1928年にセルマーがアドルフ・サックスの工場、工具、設計図、在庫、そして「Adolphe Sax」の名前のすべての権利を買収するという形で結実しました。

また1910年には、アンリの兄アレクサンダー・セルマーがアメリカでの15年におよぶ華々しい演奏活動(ボストン交響楽団、シンシナティ交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニーの首席クラリネット奏者)を終えてフランスに帰国しました。彼の帰国は、セルマー楽器への需要が急増していたことが主な理由です。

アメリカでの需要は、アレクサンダーの優れた演奏家としての評判と、彼がニューヨークに開いたセルマーの小売店舗および修理工房によって支えられていました。アレクサンダーがフランスに戻る際、その店舗は彼の愛弟子ジョージ・バンディに譲渡され、バンディが買い取ったことによって、後の「Selmer USA(セルマー・アメリカ法人)」が始まったのです。

 

出典:Saxophone Museum